QLOOKアクセス解析

モンスター

モンスター(2003年)

監督:パティ・ジェンキンス

 

1989年から1990年にかけて、フロリダで7人の男性を殺害した連続殺人犯、アイリーン・ウォーノスをモデルにした映画。ドキュメンタリーのほうは未見です。

 

娼婦のリーは、ある晩ゲイバーでレズビアンのセルビーと出会う。孤独で行き場のないふたりは急速にひかれあう。セルビーとかけおち?の約束をした日、リーは客から暴行を受けとっさに相手を射殺してしまう。それからはふたりの生活費を稼ぐため、リーは男を殺しまくる。

 

高架下の土手で雨に濡れて自殺を考えるリーの姿から始まるんだけど、もう最初っから感情移入し過ぎでダメだった。。3リットル以上泣いた。

シリアルキラーに感情移入して泣いたというより、人間がやむにやまれずやってしまうこととか、選択の繰り返しで人生の方向が定まっていくカンジとか、自分ではどうしようもなくて苦しいとか悲しいということ、恋愛(異性のソレだけじゃなく家族や友だちや周りの人間との関わり)について、これでもかってほど真実や絶望みたいなことを突きつけてくる映画だと思った。俺映画フォルダでは「恋愛/ひゅーまんどらま」のとこに分類されました。

 

映画では少し変えてあるけど、アイリーンの生い立ちは不幸というか壮絶というか、、父親は幼児に対する暴行で逮捕・自殺、15才で彼女を産んだ母親には捨てられ、祖父母にひきとられる。祖母はアル中、祖父からは虐待され、8才から父親の友人と実の兄にレイプされ続ける。14才で妊娠・出産、子どもは養子にだして家族には勘当される。(ネットでちらっと読んだだけなので詳細間違ってるかも。)

 

どんなに不幸な環境で育っても犯罪者になるとは限らないし、どんな恵まれた環境で育っても、犯罪を犯す人間は犯す。それは紛れもない事実で、「私には選択肢がなかった」という彼女が悪くないとは云えないが、親や社会に責任がないわけもない。殺人犯には殺人そのものが楽しくて(もしくは何も感じないで)やるってのと、何かのためにやっちゃうのがあるとして、アイリーンは明らかに後者のほうとして描かれている。誰でもが犯罪者(殺人者)になり得る。誰でも紙一重なのに、その一線を越えるもの・越えさせないものってなんなんやろう。

 

タイトルの「モンスター」は、マスコミが連続殺人鬼の女につけた呼び名。

劇中、リーが子ども時代に乗りたかったと語る観覧車(=幸せの象徴)も「モンスター」と呼ばれていた。それはリーにとっては、社会とかいわゆる「普通の人々」のことでもあると思う。でも、リーの運命を変えたセルビーこそ「モンスター」に思える、ぐらい気持ち悪いキャラクターだった。役作りで10キロ以上増量して特殊メイクでリーを演じたシャーリーズ・セロンはたしかにすごかったけど、セルビー役のクリスティーナ・リッチもスゲーと思ったですよ。テレビでみたんやけど、シャーリーズ・セロンにも暗い生い立ちがあって、目の前で母親が父親を撃ち殺したそうな(正当防衛)。このことを知らなかったとしても、アイリーンもやせてメイクと教育を受けられる環境があればシャーリーズ・セロンになれてたかもしれない、と思わせる配役の意味は大きい。

 

セルビーは同性愛者である自分を親に受け入れてもらえず、知人の家に預けられている。日曜日には教会に通うような育ちのいいお嬢さんで、リーとは別世界の住人なんだけど、愛に飢えて孤独を抱え、行き場がないってとこで惹かれ合う。セルはひたすら愛されたい夢見る乙女(乙女とは純粋ゆえに損得勘定も得意)なんだけど、リーはいろんな現実を知り過ぎてて、愛する(=夢を託せる)対象がほしかったんじゃないかと思う。リーもかつては夢見がちな少女だった、てモノローグがあって、誰かに運命を変えてほしい、ってままオトナになってしまったんだよねえ。リーもセルも精神が幼いとかナントカ障害とか診断するのは簡単な気がするけど、誰でもが抱えるものをデフォルメして見せているだけじゃないだろうか。それと、レズビアンじゃないリーがセルに向ける愛情(依存でもあるけど・・)は、母親のソレみたいにもみえるんだよな。ふたりとも家族がほしかったのかな。

 

出会いからふたりがこころを通わせるまでが赤面するほどロマンチックに描かれてて(スケートリンクのシーンすごいし、お姫様だっこまであるんだぜ!)、恋ってとにかくタイミングと勢いやなとゆう。その出会いが良いか悪いかは関係がない。こうなるともう、恋愛に性別なんて関係なくね、とさえ思えてくる。その過剰なまでのロマンチックから一転、コントラストがきついよお。(だからよく出来てるんですけど)

 

娼婦のリーと同性愛者のセルはマイノリティーで差別を受ける側なのだけど、マイノリティー同士だから理解し合えるというもんでもなく、むしろ差別されてる人間ほど差別することがあるってのをリーがよくわかっているシーン(遊園地のとこ)が非常に切なかったです。殺人を犯す前も、殺すようになってからも、リーは「自分が何をしているかはよくわかってる」。そういう意味では「ダークナイト」のジョーカーみたいだとちょっと思ったん。一見本能のままに暴れる化け物のようでいて実は確信犯ってとこでも。リーがジョーカーになれなかったのは、現実にはバットマンが居ない(バットマンが居ない世界でジョーカーは成立しない)し、リーが殺人の一線を越えたのはレイプされる側の女が身を守ろうとして銃を持ったから。生い立ちやそれまでの生活を考えたら、よくそれまで男を撃ち殺さなかったな、と思う。セルに出会うまで自殺するつもりだったんだから、セルとの約束があったから身を守ろうとした、愛ゆえにってやつだ。あの場面で撃ち殺せ!って思わない人間がいるだろか。

 

冒頭、リーがゲイバーに入ったのは偶然だったというけど、娼婦としての生活に疲れきって(女を性の対象とする)男のいないところに行ったんじゃないかな。自殺する前に、最後の5ドルを使ってから死にたい、使わずに死んだらタダでフェラしたことになる、というのがあまりにも悲しい。

生活のために労働している人間は娼婦と同じとゆうたのはリラダンだっけ?セックスワークが普通の労働と同じかどうかというのはむずかしい問題だと思う。わたしは労働の一種だと思っているけど、ほんとうに差別意識がないかというと甚だあやしい。もしその5ドルが事務職で得た5ドルだったらそんなふうに思うかな、という意味で。ふたりの生活が破綻に向かい、セルを家へ帰すバス停で、「ずっと自分をゆるせない」と叫ぶリーの姿はほんとに痛々しい。

 

夢見る乙女、セルビーが最終的にとった行動は。。セルが気色悪いのは、鏡を見ないから。あれを酷い裏切りだとするか、結果的にリーにとってカタチを変えた救いとなったのか、それはわからない。とにかく暗澹たる気持ちになるのは間違いないけど、ラストシーンはまぶしい光に包まれている。

 

あと絶妙な80年代末期ファッション(狼かわいい)とかレズビアンの雰囲気(何も知らんので偏見かもしれんが)とか、音楽もよかった。スケートリンクでDon't stop belivin'がかかって「この曲好きなんだ」っていうとこでリーの人間性がもうわかるでしょっていうね・・。

 

同じ事件を元ネタにした「テルマ&ルイーズ」は、女ふたりが殺人行脚する以外は全然違う話でスカっとするロードムービー、安心して観られます。ブラピが若いよ。