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キック・アス

痛快で面白かったことは面白かったのだけど・・なんともいえない違和感が残った。ネタバレ気になる人はやめといてくだしあ。

 

アメコミヒーローに憧れるギーク(オタク)男子が、変なコスチューム着てほんとにヒーローになろうとする話。特殊能力は「女子に見えない」ことだけっていう、しょっちゅうカツアゲされてるひ弱な子がですよ。

街を勝手にパトロール→刺されて轢かれる→大怪我して入院

で、退院後もパトロールはやめない。今度はチンピラ同士の喧嘩(リンチ?)を止めに入ったら、たまたまギャラリーがたくさん居てネット上で話題になり、彼は「キック・アス」というマヌケな名前で本物のヒーローとして認知される。このシーンは象徴的で、ギャラリーは携帯で写真や動画撮ったりで、誰も助けはしない。

 

別軸で、銃器マニアの父娘がいて、なんか訳ありぽく行動しています。その娘ちゃんは12才の美少女、銃器オタでありえへん身体能力の殺人マシン、「ヒットガール」と名乗り、キック・アスと交錯・・・。こっちはまさに本物のアメコミヒーロー。つかヒットガールが主役か。

 

いたいけな美少女(ほんまにむっちゃかわいい!)が、たったひとりでマフィアを壊滅させる様は、そらもう痛快というしかない。ガンアクションのみならず、首や腕飛びまくりです。

 

一見、荒唐無稽なストーリーと思うかもしれませんが、ものすごくリアルでもあります。最初にヒットガールが登場したとき、ひと通り戦いが終わってあたりは血の海、屍累々の図にキック・アス呆然、ていうシーンがあって、これは真実やなあと思った。ヒーローだろうとマフィアだろうと殺人には変わりない。昔読んだ吉田戦車の漫画にもそういうのがあった。そういう視点を失ってはいけない、と思うようになったのは吉田戦車先生のおかげです。

最初にキックアスがあっさり刺されるとこなんかもご都合主義ではない。エンターテインメントとリアルさのバランスが絶妙、このリアルさがあるから「あー面白かった」で済ませられないのかな。カポーできゃっきゃしながら観る映画なのだとしたら、こういう風にネチネチ考えるのは野暮の極みなのかもしれませんけど、そういう観方があってもいいじゃない。つうか、これをきゃっきゃで済ませられる人々が怖いんですけど。。

 

マフィアとポリスは癒着していて、キック・アスが始めたことは自警団だと思うのだけど、キック・アス自身には確固たる根拠というか、命を懸けるような必然性がまったく描かれてないので気持ち悪い。。「見て見ぬフリをやめようぜ」ってことなのかしら。。ヒットガールのほうには一応復讐の大儀名分があるのだけどなんかひっかかる。。

 

こんなことをいうのもなんですが、はっきり言って私は殺人の実録を読むのが大好きだし、数はあんまり観ていないが人体損壊映画はわりと好きなほうです。でもただ単にスラッシャーが好きかというとそれは違う。テキサスチェーンソー(数年前のリメイク)とか大嫌い。悪魔のいけにえは好き。えっと、だから道徳的に云々とか残酷シーンでひっかかるというのとは違います。

 

殺人事件について書かれたテキストを読んで、人はなぜ人を殺すのかと考えたり、単純に好奇心だったり、恐怖だったり、そういうのは実はみんな好きなんじゃないかな。じゃなかったら、連日殺人のドラマをテレビで放送したりワイドショーで殺人事件を大々的に報道したりはしないだろう。誰でも暴力衝動や殺人願望は持っていて、ただ発露されるかどうかの違いではないか。いやまあ、殺人願望まではいかなくとも、多少の憎悪は誰でも持ったことあるでしょう。いっぺんもない、という人がいたら仏かキチガイだと思うよ。「思うだけなら思わんも同じ」ということではないかな。発露されるかどうかの違いは、執着の強さのような気がします。

キック・アスのカレシも、「連続殺人鬼と同じで想像しているだけでは満足できない」つってほんとにヒーローになっちゃうの。シリアルキラーとヒーローはコインの裏表なんすよね。。自衛としての力の行使は、そこらへんを自覚してるかどうかが重要だと思う。

 

キック・アスが気味悪いのは、スクールカースト最下層のルサンチマンとか、自分や誰かを守りたい、というよりも、単に「ヒーローになりたい」という一点のみで動いているところ。(そういう描写がないわけではないけど、ちょっと弱い。私が見落としているか読解力が足りないのかもしれませんけど・・。)殺人に動機なんかない、というのが真実のような気もするが、それに近いものを感じて気持ち悪いのかもしれない。

 

そんなことやらをぼんやり考えているところに、普段から愛読しているブログで暴力ということについて書かれた記事があり、ますます考えこんでいます。そこで触れられている件の映画も未見、勉強不足なので何も言えないですが、ただ「暴力」ということに関して、当たり前のように「暴力はいけない」というが何故よくないのか。それはそこに書かれているように、死に直結しているから。こんな理不尽はない。暴力によってこのまま死ぬかもしれないと思ったことがいちどだけあるけど、あんな思いは二度としたくないし、誰にもしてほしくない。