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たとえば、あるキッカケで壊れてしまった関係があるとして、自他ともにゆるすことで修復されるとは限らない。
何かで気まずくなった間柄でも、数ヶ月或いは数年、数十年経って、思いもかけない場所で再会などして、ただもう懐かしいばかりで談笑する。
そういう経験はあるし、その時は懐かしいなあなんて思うものの、心の奥にはうすら寒い風が吹く。。

「ゆるす」ということに対して、なんとも云えない傲慢さを感じるからだ。
辞書で調べてみたら、こういうカンジ。

(1)罪や過失を、とがめだてしないことにする。また、服役中の人を放免する。
(2)願い・申し出などをききいれて、願いどおりにさせる。認める。許可する。
(3)ある行為を、さしつかえないと認める。
(4)義務や負担を免除する。
(5)相手のはたらきかけに対し、思いどおりにさせる。
(6)他に対する警戒心をゆるめる。
(7)その人をとりまく状況が、ある事を可能にする。
(8)すぐれた存在であると認める。
(9)ある水準に達したと認める。
(10)強く締めたり、引いたりしたものをゆるめる。
(11)手放す。自由にする。

ここで私が云っているのは勿論(1)だけれど、本当は(11)に近いことかもしれない。
相手のことより、自分の心を手放すこと。
ずっとゆるさないでいるほうが、ある意味で「誠実」なのだと思う。

「ゆるす」に感じる傲慢さというのは、「偽善」と同じようなことなのだけど、すべからく行為者自身のためにある、と思えばそんなことも無いのかもしれない。

そういう訳で、自分のためにゆるすことにする。
人間的成長だとか、器がどうとか愛だとか、そんなのは全部どうでもいい。
おいらが気持ちよく楽チンに生きる、ただそれだけのためにゆるすよ。
伝わるかどうかはわからないけど。

 

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Web辞書のはじっこに名言コーナがあってさ、太宰。

「駄目な男というものは、幸福を受け取るに当たってさえ、下手くそを極めるも
のである。」

いかにも太宰らしい。そんで女も一緒だし、やっぱり自分のことだと思っちゃう
わな。。

 

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今日はワイルドジャンボ。やっぱ藤田敏八てヘンな人や。。今日も藤竜也のフハハハハハに悶絶。白デニム似合う男最強。