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百年の憂鬱

「百年の憂鬱」伏見憲明

主人公の義明ほどやさぐれ中年でもないし、若い恋人ユアンほど純粋無垢でもない、ましてゲイでも男でもないわたしでも、自分のことを書いてあんのかなと思うぐらい感情移入した。というかそもそも、性別と性的嗜好が同じだからって何でも理解できるというものでもないので、そんなことは関係ないのかもしれない。むしろ同じ女の気持ちのほうがわからんことが多い・・・。

私的なことを突き詰めると、そこにはいつも普遍性がある。

わたしの好きな、一見恋愛小説じゃないもので、その中にこれでもかっていう恋愛が描かれているのとは反対に、これは恋愛私小説の体をとりながら、同性愛者の軌跡と、人間本来のどうしようもない性質(孤独とか憂鬱とかもっと格好良い言葉もあるだろうけど、「どうしようもない」ってのが自分にはしっくりくる)をあぶり出す壮大な物語だと思う。内容のどろどろさに反して(?)ドライで詩的な文体がかっこいい。

 

ゲイの世界のことは読み物とネットでしか知らない(何も知らないに等しい)けど、いつも思うのは、孕まない関係こそ純粋な恋愛なのじゃないかということ。(それ故の苦悩は当然あるし、微かな憧れを抱いてしまうのは、それこそが偏見なのかもしれない。。)

「これが男と女だったら、そこまで互いを追いつめたりしない気がするわ」

というママの言葉で気がついた。わたしは男女で「そこまで」追いつめたいのかもしれない。孕まない関係ならなおさら。

 

ラストの衝撃的ともいえるあのシーンで、わたしは思わず「ざまあみろ」と僅かに思ったのだった。そして、いけしゃあしゃあと打ち水が欲しいなんていう義明は死ねばいい、と同時にどうしようもなくかわいいとも思った。

 

誰かを好きになって苦しくなるたび、この本を読み返すような気がする。

 

***

結婚制度のことはとりあえずおいといて、自分にはパートナー幻想というのがある。自分で幻想と言うぐらいだから間違いなく幻想で、我ながら辟易しているのに馬鹿みたいに止められない。わたしの手に入らないだけで、世界のどっかにはきっとあるに違いない。もはや魔法か呪いのレベル・・・。義明にも長年連れ添う家族と呼べるほどのパートナーがいるにも関わらず、ユアンと恋に落ちる。安住の地があると、人は憂鬱になるのだろうか?そういう憂鬱に似たものを味わったことがあるけど、わたしは迷わずそこを飛び出した。行くあてなんかどこにもなかったけど、自分にも相手にもそのほうが誠実だと思った。正しかったかどうかは今もわからないし、誰にもそんなこと決められないと思う。それ以来ずーっと彷徨ってるけど、後悔はない。